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メリー・ウィグマン

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1-メリーウィグマンの舞踊は、心の中で感じた事をまったく自由に身体で表現する芸術であった。一定の規則のもとに腕や脚を律動的に動かし、跳躍や回転する事を即ち「踊ること」は舞踊ではないとした。-




リトミック

聞いたことがあるだろう。

音楽の音の長短強弱関係を身体運動に翻訳して身体で現す。

ジャック・ダルクローズさんていう音楽教育家がこの音楽基礎教育法を作ったらしいのだが、私が思い出すのは小学生のころの音楽の授業。私はずっと不思議だった。なんで音楽の授業なのに。

部屋の真ん中にあるグランドピアノの周りを先生が適当に引く音に合わせてぐるぐる回る。跳ねてみたり、腕を上げたり下げたり、なんだかいろんな組み合わせがあったと思う。今思えばあれはリトミック

ダンス」をやろう、習おうと思った時に、リトミックから始める人は少ないだろう。そして教えてくれるダンサーも少ないだろう。ただ、リトミックをじゃあやるべきだという話ではなくて。まあ、やったほうがいいのはダンサーより運動神経悪そうなバンドマンくらいかな。




2-メリーウィグマンはダルクローズの元でリトミックを学び終わるや否や、それが却って舞踊の自由表現の阻害になることを見出した。舞踊と音楽の矛盾する関係。舞踊は音楽の身体的表現ではない。-




私はずっと床か地面で踊ってきた。

それは同時に、音楽機器から流れる音楽があり、ライブ演奏だとしても、決まったリズムで作られた音の組み合わせであった。音楽に合わせて適当に身体を動かしたり、振付を考えたり、それを覚えて練習したり、そうするのが今も普通だし、好きでもある。

だけどこの散々やってる「床+リズム」が「海+無音」になったらどうだろう。これは、全く違う踊りだ。

ある日のお話。浜辺から水辺に進み足が水に浸る。その瞬間コントロール出来ないリズムで足が波に引っ張られた。他力が作用する状態でどう踊れというのか。真冬の海は風も強く、想像出来ると思うが、メッチャ寒いしメッチャ冷たい!指20本がどこについてるかわからなくなって、無音の中では自分がどこにいるのかわからなくなった。そしてそんな事で心折れた自分の弱さを痛感して泣きそうだった。




3-芸術としての舞踊は、ただの感じ、とか、気分、を身体で表現するものではない。それは芸術舞踊のテーマにはならない、とメリーウィグマンは考えた。人生における、もっと重要なこと、をテーマに取り上げなければならない。但しそれは、もっと大きなこと、ではない。より小さなことでも、もっと重要なことが人生には沢山ある。それをテーマにして初めて生産的な芸術作品ができるというのである-




舞踊的衝動。私の中にある小さな感情。好きな本、美術、音楽。記憶とか経験とか期待とか。気付いて拾うこと。内面的な部分は歳を重ねて初めて外に出せるのかもしれない。

30歳を超えて、結婚をした私はどうにかして次のステージへ行きたいと思っている。なにが大変かっていうと、思っているだけじゃ出来ないってこと。





※1〜3はメリーウィグマンについて書かれた書物を参考に書いています。